催眠療法と死生感
先ほど、本日の和歌チャレンジ
頭「なのぬねに」で自分神様にお願いしてみた。
何が出るかな?自分ではまったく予想できていない。
なかつくに(中つ国)
のべにあそびて(野辺に遊びて)
ぬきみさし(抜き身さし)
ねいりておもふ(寝入りて思ふ)
にしのかなたを(西の彼方を)
解釈
「中つ国」は、最初、よく分からなかった。ネットで調べたら、古事記の記述より、現実世界のことだとわかった。高天ヶ原と黄泉の国の間だから中つ国と呼んでいたらしい。
「野辺」は、野辺送りのイメージが強いが、現実とあの世を繋ぐ、淡いの世界のような感じもするし、単に、現実での生活の場を表しているとも感じる。「在野」とも言うし。現実を幻と知らず、一喜一憂しながら生きている人間たちのひしめくステージのことか。
「抜き身」刃物を抜き身とも言うし、身体の中身、目に見えない自分とも解釈できそうだ。人は、思考を使い、エゴで我が身我が心を武装して生きている。ほんとうの自分が見えなくなっている姿。思考を自分だと思い込んでいる状態のことと思われる。現実世界の私たちは、刃物(武器=エゴ)を携え臨戦態勢で生きている。だから、いつも不安、怖れで行動してしまう。
「寝入りて」毎日の睡眠のことか。または、肉体が死ぬことを指しているのか。二重に解釈できそうだ。
「西の彼方」ふと連想したのは、西方浄土。ほんとうの私たちの世界。魂の世界。至高の真善美の世界ではないだろうか。すべてが満たされた平安な状態を指す。
↓
人は、現実世界で、自らを武装し
ほんとうの自分を覆い隠して生きています。
しかし、それらは、魂の遊び(学び)です。
眠ってごらんなさい。
あなたは、自由な魂となって
ほんとうの世界に戻るのですから。
この神様メッセージを踏まえて、催眠療法を絡めてみる。
前世療法では、クライアントは、一つの人生の大切な場面をいくつか再体験した後、臨終を迎え、魂の戻る場所(中間世)へ誘導される。
自分もそうだし、セラピストの体験からも言えることだが、全員が
「安らかな」「静かな」「気持ち善い」「清々しい」と感じる。
私たちは、催眠療法を通して、上記和歌によれば「西の彼方」。催眠用語では、「中間世」。一般的には、あの世を思い出すことができる。
そこでは、マスターやハイアーセルフ、守護霊、神仏に会うことも、亡くなった方やペットにも会うことができ、自分でメッセージを聞く。イメージの中で、エネルギー交換もできる。クライアントは、ここで、自ら大いなる気付きを得て、浄化の涙を流す方も多い。
この体験をされたクライアントは、目に見えない魂の存在や、ほんとうの自分、ほんとうの世界があることに気づいていく。(思い出していく。)
私たちは、永遠の意識エネルギーであるということ。現実は意識によりつくり出された幻であるということ。本来の意味で「死」は存在しないこと。いわゆる、「さとり」に近づいていく。
和歌の「寝入りて思ふ」は、催眠療法のこととも言えそうだなあ。催眠は、眠る直前の脳の状態だが。
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