松明に集まる虫たちは

自分神様和歌チャレンジ

「まもむめみ」

こちらは、まだ、解釈が未消化なのであるが、記録しておく。今回は辛口の和歌になった。


まつやにの(松脂の)

もゆるあかりに(燃ゆる明かりに)

むしきたり(虫来たり)

めざすあかりは(目指す明かりは)

みゆるかたなし(見ゆる形なし)


解釈

「松脂の燃える明かり」は、松明(たいまつ)だろう。夜、そこには、虫たちが集まってきて、火に飛び込んで焼けてしまったりしている。松明の明かりに惑わされ、本当に目指す明かり(自然界では月のこと)を、見ようとしても見ることができない。人工の明かりが、あまりに強烈で、本能が生きるために求める月明かりを、見ることすらかなわない。月明かりは、身を焦がすことはないが、人工の明かりは、うっかりすると、身を焼き尽くしてしまう。命取りだ。

これは、自然から切り離されてしまった現代の様子を歌ったものかと思う。

自然の本能は、現代の変化のスピードに追い付いていない。人間は、相変わらず、原始時代の危険や飢餓と戦っていた脳のままであり、生き抜いてきた何万年の反応が未だに強く出てしまう。人が不安恐怖を抱きやすいのも、その性質の方が、生き残れたからである。

この物資至上主義の文明で、不安恐怖をベースに生きたらどうなるか?独り占め、排斥、自分さえ良ければ、という欲望が、戦争や環境破壊を引き起こす。分離の極みだ。

だから、早急に、目覚めなくてはならない。

強烈な明かりが、身を滅ぼすかもしれないと。真実の明かりは、いつも上空に輝いているのだと。

光は光でも、命が目指す光は、どこに輝いているのか。早く気がつくようにと言われた気がする。


神様メッセージ

「強烈な明かりに引き寄せられていると

身を滅ぼすことになるぞ。

松明の明かりに群がる虫たちは、なぜ、自ら火に飛び込んでしまうのか。不思議ではないか?死んでしまうというのに。

上空には月が、輝いているというのに。

松明の明かりが強烈すぎて、月に気づくことが出来なくなっているのだ。見ている私たちは、心を痛めるのだが、どうにも術が無い。松明を使わなければ、このような事も起きないだろうが、人工の明かりを使うという進化をした人間の営みを止めることも、もはや不可能だろう。

これは、単に、明かりに群がる虫の話をしているのではないのだよ。

人間の話でもあるのだ。我が身に置き換えて見なさい。

気がついたら、出来ることから始めなさい。」


☆虫と明かりについて

 月明かりと勘違いして灯りに対して一定の角度で飛ぼうとしているため 夏の夜、コンビニや自動販売機の灯りにたくさんの虫が集まっているのをだれでも見たことがあると思う。

光に集まってきたということは、こういう虫たちは明るいところが好きなのかな? 

でもよく見ると、飛んできているのは、ガなどの暗くなってから活動する虫がほとんどだよね。どういうことなのだろう? 

実は、夜に光に集まってくる虫の多くは、明るいところが好きで集まっているというわけではないんだ。

人間のつくった人工の灯りを除いて、夜一番明るいものは? そう、月だね。夜活動する虫たちは、月を見ながら、月明かりに対して一定角度で飛ぶことで高さや方向を一定に保つしくみを持っているようなんだ。

月は地球からものすごく遠くにあるために、自分がいくら動いても月のある方角は変わらず、自分の向いている方向を知るいい目印になる(昼間の太陽の方角と同じだね)。

そういうしくみを持った虫たちが人工の灯りを見て、その光の向きに対して一定の角度で飛ぼうとすると、どうなるだろう。月と違って人工の灯りはごく近くにあるから、一定角度を保って飛ぼうとすると結果として、灯りの周りをグルグルとまわりながら近づいてしまうんだ。

つまり、虫たちは、人間がつくった灯りを月と勘違いして方向の目印に使ってしまったために、知らず知らずのうちに灯りに集まってしまったわけだね。

 昆虫が人工の灯りに集まるしくみ。 神村学 (農業生物資源研究所)

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