幸福の秘訣

 「いま安らぎを得るにはどうすればいいか?

いまという瞬間と仲直りをすることだ。

生きる秘訣は、生命とひとつになること。いまという時とひとつになることだ。そのときあなたは、自分が生命を生きているのではなく、生命があなたを生きているのだと気づく。生命が踊り手で、あなたが舞踊なのだ。

エゴは現実を恨むのが大好きだ。あるがままの人生、あるがままのこの瞬間に対抗する、それがエゴの特徴の一つだ。

知らずに苦しみを創りだす、それが無意識な生き方の本質だ。自分を認識できず、自分が何をしているかもわからないエゴの無能さは驚異的で、まさに信じがたい。

エゴは他人を糾弾するが、自分がそれとまったく同じことをしているのに気づかない。その事を指摘されれば怒って否定し、事実を歪曲する。個人も企業も政府もそうだ。そしてすべての対抗策に失敗するとわめき散らし、物理的暴力まで振るう。

何千年も人類を苦しめてきた悲惨さに終止符を打つには、まず与えられた瞬間の自分の内面の状態に自分が責任をもつことから始めなくてはならない。つまり、たったいまからである。

自分自身に聞いてみよう。

いまこの瞬間、自分のなかにネガティブな状態がないか?

それから自分の感情や思考を冷静に見つめる。低レベルの不幸が自分のなかにないか観察しよう。

とくにその不幸を正当化したり説明する思考に気を付けて観察しよう。

自分のなかにネガティブな状態があると気づいても、それは失敗ではない。それどころか成功である。そこに気づかない限り、内面の状態と同一化したままであり、それがエゴとの同一化なのだから。だが、気づけば、思考や感情や自動的な反応と自分が切り離される。これを否認と混同してはいけない。否認ではなく思考や感情や自動的反応の認識で、認識の瞬間にそれらとの同一化が解消する。

あなたは自己を、自分が何者かを意識し、そこで変化が起こる。それまでのあなたは思考であり感情であり自動的な反応だった。だが、いまのあなたは気づきであり、いまに在る意識として内面状態を観察している。

私はいつかエゴから解放されるだろう。

そう言っているのはエゴだ。

思考から気づきへの変化が起こると、エゴの小賢しさよりもはるかに偉大な知性があなたの人生に働き始める。気づきによって、感情や思考さえも個人的なものではなくなる。もうそこには自己はない。

ただの人間的な感情、思考だ。あなた個人が生きてきた物語、思考と感情の塊の重要性は二の次になり、意識の前面を占領することはない。もうあなたのアイデンティティの基盤ではなくなる。

あなたは

いまに在る

という光になり

思考や感情よりも先行するもっと深い気づきになる。」


『ニュー·アース』

エックハルト·トール著

サンマーク出版

129~131頁

一部要約


☆追加

「この地上での悪行の犯人はたった一人しかいない。人類の無意識だ。そこに気づくことこそが真のゆるしである。ゆるしによって被害者というアイデンティティは消え、真の力が生まれる。「いまに在る」という力だ。闇を非難するよりも、光をもたらすべきなのである。」

174頁より


「生きる喜び(真の幸福はこれだけだ)は形や所有や達成や人間や出来事を通じてもたらされはしない。

起こる出来事を通じてもたらされることはあり得ない。

その喜びは外からもたらされることは決してない。

それはあなたのなかの形のない次元から、意識そのものから放出されるものであり、したがってあなたと一体だからである。」

232頁より

「エゴの縮小

力強いスピリチュアルな実践は、エゴが縮小したときに修復しようとせず、意識的に縮んだままにしておくことだ。

誰かに批判、非難、悪口を言われたとき、すぐに報復や自己防衛を試みない。何もしないでおく。そのとき自分の奥深いところでどんな感情が起こるかを観察する。

数秒間は自分自身が小さくなったという不快感があるかもしれない。しかしそのあと、生命力に満ちた広々したスペースを感じる。

まったく反応せずにいると、実は確かなものは何も縮小しておらず、それどころか小さくなったことでかえって大きくなる。精神的な自己イメージから離れることができる。

エゴが小さくなることによって、あなたは逆に拡大し、いまに在る状態が立ち現れる場所ができるのだ。

そのとき、形を超越した真の力、真のあなたが、弱くなったかに見える形を通じて輝き出す。

必要ならば断固としてはっきりとノーと言ってもいい。これはすべてのネガティブ性を排した、いわば質の高いノーである。(エゴイスティックな自己防衛でなければ、あなたの言葉には反発力ではない力があるはずだ。)

とにかくひとかどの人間になろうとか目立とうと思わないでいれば、あなたは宇宙の力と自分を調和させることができる。

自己意識を強化しようとして自分を見せびらかしたり、目立とうとしたり、特別な存在であろう、強い印象を与えよう、関心を引こうとしないことだ。その一環として、誰もが意見を言い合っているとき、自分は意見を述べるのを控えていて、それで何を感じるかを観察することも含まれるだろう。」

233~235頁より

「抵抗しない、判断しない、執着しない。この3つは真の自由の、そして悟りを開いた生き方の三つの側面なのだ。」

244頁より

「ほう、そうか?」「そうかもしれない。」「これもまた過ぎ去るだろう。」「私は自分の思考のせいで動揺したりはしない。」「静かであれ。見よ。耳を澄ませ。いまに在れ。」「私はある。」を合言葉に。

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