心の同伴者

 先日、とあるクライアントの退行催眠のセッションをさせていただいた。

過酷な人生を体験された方で、今回、勇気を振り絞り、その場面を再体験され、閉じ込められたエネルギーを解放した。

苦しい場面で、クライアントは、辛い感情を甦らせ、涙を流した。

夢中で誘導をさせていただき、セッション終了後の面談で、クライアントから質問された。(彼女は、プロのセラピストでもある。)

「とても寄り添ってくれて、ありがとう。私はネガティブな感情をいっぱい出してしまいましたが、あなたは気持ちが悪くなったり、しませんでしたか?大丈夫でしたか?」と。

クライアントの内面に反応してしまうことを逆投影と言う。セラピストの中にクライアントと同じネガティブエネルギーがあると、セッションを通じて、セラピストも引きずられ、具合が悪くなったりするのだ。だから、セラピストは、絶えず自身の内部をクリアにする努力が求められる。

また、クライアントに共感はしても、同情してはならない。クライアントには、自身の力で問題を解決する力がある。クライアントをリスペクトすることだ。決して可哀想だと思ってはならない。それは失礼なことになる。

そのために、クライアントの感情の渦に巻き込まれ、セラピスト自身が我を忘れてはならず、いつも、客観視できていなくてはならない。「あなたは、こう感じているのですね。」と。そのためには、適度な距離感が必要となる。

「あなたは、セラピストなのです。あなたの役割を忘れてはなりません。」セミナーで、泣いてしまったセラピストに対し、講師からアドバイスがあったのも忘れてはいない。

そして、今回。

やはり、私は、泣いていた。クライアントと共に、涙を流した。催眠中は、セラピストもクライアントも潜在意識に入るので、意識が共有されることがある。クライアントの感情が痛いほど伝わってくる。

「あなたは、こんな心の痛みを抱え生きてきたのですね。」私は、クライアントへの尊敬の気持ちでいっぱいになる。そして、痛みを共に感じて涙を流す。

セラピストとしては、失格だと思う。もっと客観的でなくては、もし一日に何回もセッションがある場合は、心が持たない。

(実際に、このセッション後、クライアントは丸一日、ぼ~っとしていたそうだ。感情解放のエネルギー消耗は大きい。クライアントは、それだけ、フルマラソン並みの頑張りをされている。)

しかし、苦しみに悶え、嗚咽しているクライアントを、離れた心の場所から、平静に眺めているのも、私には出来ないと感じる。

今回のクライアントに、そう心の内を白状してみた。彼女はプロのセラピストなので、良く理解してくれた。「クライアントとしては、セラピストが一緒に泣いてくれると嬉しいけど、セラピストの立場になると、難しい課題だよね。」と。

適度な距離感とはなんだろう?

私は、感情を共に感じるので、セッション頻度としては、週一の日に一回がエネルギー的に限度かなあと思う。プロとして、日に数回セッションをこなすには、この問題をどう回避するか。とても悩ましい。私は、心を切り離した機械的なセッションは出来ない。世のエッセンシャルワーカーは、うまく対処しないと、エネルギーを枯渇させ、うつ病になったりもする。

今朝読んでいた本に興味深い記述を見つけた。

以下、転載

「しかし····いくら、思い通りにならないからこそ価値があるといっても、今回の震災で、愛する人を失って悲しみに沈む方々を目の当たりにすると、私はいったい、どのような言葉をかけて差し上げれば良いのか、途方に暮れてしまうことがあるのです·······たとえ、愛するその人がまぶしい光になっていること、そして、また必ず逢えることをお伝えしても、いま現実に、目の前に体を持って存在しなくなったことは、変えようのない現実なのですから·····

光:  

簡単なことです······ただ、ともに泣き、ともに悲しんで差し上げるのです。それほど深い悲しみに沈む方々には、残念ながら、あなたの論理的な説明や人生論など、何の効果もありません。そのような方々を救う方法は、ただひとつ·······ともに泣き、ともに悲しむことにより、その御方の『心の同伴者』になって差し上げることしかないのです。

説明しようとするのではなく、共有しなさい。導こうとするのではなく、寄り添いなさい。ただ、その御方とともに泣き、ともに悲しんで、心の同伴者であろうとするしかないのです。

挑戦しなさい。自分の力を信じ、相手の心を信じて、深く傷ついた方々の、真の心の同伴者になれるよう、努力し、挑戦するのです。

挑戦しなければ、道は開けません。たとえ100回うまくいかなくても、次の101回目には、うまくいくかもしれないのです。あきらめないで、挑戦しなさい。

そのことを、世の人々に伝えなさい。

世の中から、そんなことは無理だと笑われても、きっとできると言い続ける役割を、あなたが担いなさい。

あなたを信じます。

いつも、あなたたちの学びを見守り、あなたたちの同伴者でいますよ。

それでは、行きなさい。あなたを待っている、たくさんの存在たち、人間たちのところに。

いつも、あなたと共にいます。」

『生きがいの創造Ⅳ』飯田史彦 著 PHP研究所発行 206~209頁より

この部分を読んだ時、回答をいただけた気かした。とても勇気をいただいた。

次に、心の同伴者になるための、日常の工夫を整理したい。

大きな問題は、やはり、エネルギーをいかに枯渇させないかである。

日頃から

①エネルギーを漏らさないため、身体を包むエネルギーシールドを張る瞑想をする。(アニメのカリメロを想像するとよい。あの卵の殻の帽子で、すっぽり自分を覆うイメージ。)

②宇宙エネルギーと大地のエネルギーを体内に取り入れ循環させる瞑想をする。

③日頃から、散歩など、太陽の光を浴びて、自然に触れるようにする。

④きちんと食べて、しっかり寝る。

これは、心がけたい。

私たちは、気(プラーナ、宇宙エネルギー)を取り入れて生きている。現代人は、自然から切り離されているため、日常的にエネルギー枯渇気味だ。エネルギーが無くなると、生命体は死ぬ。

エネルギーバンパイアのことを聞いたことがあるだろうか?

例えば、誰かに怒鳴り散らしているおじさんがいたとする。おじさんは、怒鳴るほどエキサイティングして、元気にイキイキしてくる。これは相手を萎縮させ、エネルギーを奪っているのだ。現代人は、自然から、または宇宙からエネルギーをうまく取り込めないので、無意識に他人からエネルギーを奪っている。ピラミッド社会は、エネルギーが吸い上げられていく仕組みだ。エネルギーを吸いとられた底辺の弱者は、自分しか責める相手がいないので、自ら死を選ぶこともある。

エネルギーを吸い上げられるとどうなるか

例えば、私が仕事で強烈なクレーマー対応をした時は、その後一週間寝込んだ。同席した上司は二週間不眠になった。理不尽なことで威圧的な態度で責め立てられ続けた末のエネルギー枯渇症状だ。人は恐怖を感じるとエネルギーを差し出してしまうようだ。今思えば、ただ透明な存在になり、いまに居ればよかったのだが。

私は、エネルギーのことを理解していなかった。

長い間、公務員をして窓口で人々の対応をしてきた。人々と接することは好きで楽しかったが、エネルギーが枯渇していった。そして、鬱病になり、動けなくなった。

近所の鍼灸師の施術を受けた時に

「あなたのオーラが壊れていて、穴がいっぱい開いている。エネルギーがだだ漏れしている。」と教えていただき、光のシールドを張る瞑想を教授してもらった。

つまり、私は、怖い相手に「どうぞ、私のエネルギーを差し上げますから、許してください。」と、無意識に、大盤振る舞いしていたわけだ。しかも、だだ漏れ状態だから、バンパイアたちの格好の餌食になる。よってたかって吸い尽くされ、私は、スカスカの瀕死となり、鬱病に陥った。(発病するしか守る手段がなかった。鬱は、生きるための自衛反応だ。)

世界中の人々が、宇宙と大地との繋がりを取り戻すことが解決策だ。宇宙エネルギーは無限なので、もう取り合う必要は無い。エネルギーを吸い上げるピラミッド型システムではなく、横に繋がり合うシステムに移行していく必要もある。

今はまだ、エネルギーの仕組みを知らない方々が多いので、悪気が無くても、エネルギー争奪戦が無意識に行われてしまう。

友達に会って、楽しんだはずなのに、何だか疲れている。という経験はないだろうか。コントロールしようとしてくるタイプは、エネルギーを狙っている。

きれい事では済まない。第一優先はもちろん自身のエネルギーを良好に保つこと。誰かの役に立ちたいのなら、しっかり寝て食べる。

エネルギーを誰かに差し上げてばかりいて、補充しなければ、最悪、命を失うことになる。そんな自己犠牲、本当に私たちは望んで、この世に誕生したのだろうか。その自己犠牲の精神は、誰かの都合で植え付けられたものではなかったか。冷静に振り返ってみたい。

その上で

いよいよ、心の同伴者としての役割に邁進していこうとおもう。




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