魂の約束を思い出す

 


誰もいない皇居前広場にて、地球を謳歌している写真。みんな~ありがとう!

この数ヶ月、ずっと「責任」について考えてきた。「あなたに責任とれるの?」と問われたら萎縮してしまう自分を見つめていた。相手に不都合なことをもたらさないように、どこまで先読みをして選択するのだろう。考えていたら、動けなくなった。自分の選択が引き起こしてしまう未来が怖くなった。私は、責任を「誰にも迷惑をかけないこと。」と捉えていた。

映画『蘇生』の白鳥哲監督は
「責任放棄の責任とは、生きている責任、自分が特別に命をいただいてここにきているということに対しての責任です。その特別な命をまっとうしようと思うと、本質や真実がより見えてくると感じます。責任とは、受け容れることができる能力です。命のありがたさや、この大歓喜の世界を受け容れることを放棄すると、少しずつズレが生じていきます。そのズレを繋ぎとめてひとつに戻ろうとし、責任を放棄せずにまっとうすることに向き合うことができれば、「本気」という生き方になる。まさしく今こそ、本気になる時代、本当の「気」を使うときです。」
と、著書『魂の約束』で語っている。

なんと!責任とは
魂の約束
つまり、生まれる前に決めてきたことに
本気で取り組む。
それに伴い、自分に起きる出来事を、すべて受容する力のことだった。

白鳥監督は、脳腫瘍を患い、代替医療などに助けられ腫瘍を消してしまわれた。その中のひとつに催眠療法が含まれる。白鳥監督は、生まれる前の記憶をよみがえらせた。地球を愛していること。そして人類を救いに行くと決意したこと。

魂の約束を思い出してから、監督は本気で映画づくりに取り組むことになる。

催眠療法では、前世や、今世生まれる前の記憶を思い出す。そして、魂の約束を自分の力で確認することができる。

私には、宇宙から美しい地球を眺めながら、エネルギー体の仲間たちと、ワイワイ喜び合っていた場面の記憶がある。「これから、あそこへ行くんだ!」嬉しくて嬉しくて、至福と歓喜でパンパンに膨らむ風船みたいだった。

魂の約束は、言葉にすると難しいが
大きな枠で捉えると
「みんなが、ほんとうの自分を思い出して、輝いて生きるためのお手伝いをする。」
監督みたいに、カッコよく言えば「人類を救う」気持ちにも近いかもしれない。
私は、何の疑いもなく、100%「やるぞ~!」と、いう気持ちで、飛び出してきた。ただ、喜びしかなかった。

地球に生まれてからは、ほんとうの自分を忘れてしまう。本来の自分と対極の体験を積み上げながら、魂の学びを深めていく。そして、おそらく、自分が決めたタイミングで、ほんとうの生き方にシフトしていくのだろう。

私は、催眠療法に、出合うべくして出合ったのだろう。

「これから、本気出して行くよ✨」
地球を愛し、地球で生きることを歓喜していた、私のエネルギーを思い出す。

そうだ。私は、人生が与えられたことが、とても嬉しかった。

2022年が、とてもとても楽しみだ。
学べること、人と関われることに感謝している。

そうそう
責任についてだが
責任とは、完璧に正しい選択と行動をして、誰一人不快な思いをさせないこととは違う。
正しさは、人の数ほど溢れている。
皆、自分と違う考えを、間違いだと捉える。
あの、イエス·キリストですら、責められ磔にされた。誰もが納得する正しさなど存在しない。

魂の約束に従い、真心込めて、本気で行動したことならば、もう、その結果は天に委ねるしかないだろう。起きた出来事は、受け容れるしかない。その力が責任だ。

ただし、自分の考えに固執するのではなく、「私はこう思います。」「あなたはそう考えるのですね。」と、互いに受け入れ合い、対話を重ねることで、第三の道を見つけていく。この姿勢が調和をもたらしていく。

最初から正しい結果になると自信を持って担保できる人など、いない。不可能だ。

責任は、誰かを責め立てるために使う言葉ではない。起きた出来事を受容し合い、より良い道を共に探っていく過程にこそ意味を見い出せる。

魂の約束は、宇宙源の意識からきているため、すべては愛に基づいている。
本来の意味で、責任を持ち、しっかり自立して生きている者同士であれば、誰かを傷つけたり、命の尊厳を踏みにじったりする結果にはならないのだ。

あの人は責任を果たしているか?
誰かを責める心に気がついたら
それは、ほんとうの自分が自分に問うている声だ。
自分は、本気で生きているか?
まず、そこから始めたいものだ。

きっと世界が変わって見えてくる。

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