傾聴のこころ

 私は、ヒプノセラピストであるが、まだまだ新米であり、間違うこともある。

セラピストとして、傾聴はとても大切だ。

自分の思考(エゴ)が邪魔すると、セッションはうまくいかない。

悩みを抱えるクライアントをなんとかしたい

助けたい、早く解決したい。

これらは、セラピストのエゴであり、時には、クライアントにとって必要な学び体験を奪うことにもなる。

以下は、清水友邦さんという、呼吸道の先生のFacebook投稿だが、今、まさに、間違いそうになっていた私に必要な内容だったので、何度も立ち戻れるように、転載させていただいたものだ。

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2月1日は佐藤初女さんの命日です。


カミさんは青森県の岩木山麓にある「森のイスキア」で佐藤初女さんから「おむすび」のつくり方を教えていただきました。


「イスキア」の名は「生きる気力を失ったひとりの青年が再生するきっかけとなったイタリアの火山島の名前からつけられました。どうにもならないほどの重荷を感じたとき、そこへ行けば自分を見つめ直し、再び現実へと立ち返ることができる力を得られる心のふるさと、という思いが込められています。


1992年に「大自然の中に、心病める人の憩いの場をつくりたい」との初女さんの願いから土地も建物も家具、備品まで全国のみなさんから提供していただいて森のイスキアが出来ました。


全国から森のイスキアに心病める人が相談にやってきますが「訪ねて来る人にどの様に対応されるのですか?」と聞かれて、初女さんは自分からせんさくして相手にこうしなさいとアドヴァイスをしないそうです。


『何もしないんです。その方のお話を伺うだけなんです。ただ一つ言えることは一緒に食べることね。おいしいと言って食べた時に心の扉が開いてどんどん中から出てくるから、空っぽになった時に新しいものが入ってくるんですよ』


『聞くということが大事なの、ただ聞くのではなく、共感しながらね。本当にその人の心に置き換えて聞かないと、話す人も話せませんからね。受け入れられるということはどんなに大きい事かわからないですよ。そういう中で、話して話して話してその人が自分で道を見つけるんですね』


初女さんは相手に自分で道を見つける能力があることを信頼しています。答えを教えることは逆に自分で解決する機会を奪ってしまうかもしれないのです。


優れたカウンセラーは自分の考えでクライアントを動かそうとはしません。

相手が自発的に物語を形成するのを邪魔しないで見守ります。

自分の物語を作ることがクライアントの生きる力になるからです。


『聞き手が問題を引き受けてしまうと、話相手の問題解決能力を奪ってしまう。 そのためには不安、コンプレックス、焦り、怒り、困惑、などの自分の感情を認識して判断も評価もせずに聞きつづけていく。自分の感情に気づき、それにとらわれず、相手に集中して聞くことの二つ事を同時にしなくてはいけない。』(鈴木秀子「愛と癒しのコミニュオン」)


シュタイナーは次のように言っています。

「だれかが意見を言う。ほかの人がそれを聞く時、ふつうは聞く人の心のなかに賛成、反対のどちらかの反応がうごめくものである。また多くの人たちは、ただちにその賛成や、とくに反対の意見を外に表したい気持ちにかられてしまうものである。しかしこの道の修行を志す人はこうした反対や賛成の気分をすべて沈黙させなければならない」


「人間は自分をまったく無にして他者の言葉を聞ける様になる。自分のこと、自分の意見や感じ方を完全に排除して、自分と正反対の意見がだされるとき、いやおよそひどいことがまかり通る時ですら、没批判的に聞き入る練習をしていくとしだいにその人は他者の本質と完全に融け合い、すっかりこれと合体する。相手の言葉を聞く事によって、相手の魂の中に入りこむ』(シュタイナー「いかに超感覚的世界の認識を獲得するか」)


『原則としては、頼まれないかぎり、相手の人生に口や手を出さない。頼まれればできるだけ援助する』よく陥りやすいのが保護、干渉 『頼まれているかどうかにはかかわりなく、自分の判断で、相手の人生に手や口をだす』(アドラー心理学の協力)


『相手が話しだした時、私たちは相手の感情や問題を吸い込む。話し手は少なからず恐れや不安、混乱などを感じているが、聞き手もそうしたネガティブな感情に振り回されてしまうのである。そしてこの無意識の操作が聞き手を非受容の状態におとしいれてしまうのだ。つまり、人を受け入れられるか否かの能力の大部分は、私たちの心の状態にかかっているのだ』(トマス・ゴードン「非受容の姿勢」)


『モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。モモがそういう考えを引き出すようなことを言ったり質問した、というわけではないのです。彼女はただじっと座って、注意ぶかく聞いているだけです。その大きな黒い目は、あいてをじっと見つめています。するとあいてには、自分のどこにそんなものがひそんでいたかとお驚くような考えがすうっとうかびあがってくるのです』(ミヒャエル・エンデ『モモ』)


思考がエネルギーの流れを滞らせています。

相手をあるがままに受け入れ頭の中のおしゃべりを止めると、自他の境界が溶け出しエネルギーの共鳴が起きるのです。


カール・ロジャースの手法にアクティブ・リスニング(積極的傾聴)がありますが初女さんはカウンセリングの勉強やトレーニングを受けた訳ではないようです。


初女さんの相談者との対応は悩みや苦しみを抱えて いる人達の話を受け入れて聞き、心をこめた食事を一緒に食べる日常生活のなかから自然ににじみ出てきたものなのです。


カウンセリングのテクニックだけでは相手の心は開きません。


 ある日、初女さんはよる遅くまで相談され、翌日、疲れた身体で汽車に乗り込んだ時に窓からヨハネ15章13節の「友のために自分の命を捨てる。これ以上大きな愛はない」という文字が流れて突然目に入って来たそうです。すぐに消えましたが当たりを見回しても何処にもそんな文字はなかったそうです。あまりも不思議なので神さまが見せてくださったのではないかと初女さんは思ったそうです。もし、辛いからと言って相談された方を断ったなら、そんな不思議な体験をしなかっただろうと初女さんは思ったとそうです。


『一人一人の中に神は宿っている。だからその人の中にいる神との出会いを強く感じています。』

『“面倒くさい”というのが嫌いなんです。面倒くさいと言う気持ちの人が全てを壊していくなぁと見て感じてそう思ったんです。』


佐藤初女さんがお米の水加減をみる時は手にとって、じっとみます。お米と話をしているかのようです。それから、少し水を足されて炊き上げたお米は見事にふっくらと炊きあがります。 ごはんをもる時も お米が一粒一粒つぶれないようにふんわりと 何回も丁寧にしゃもじをお茶碗にはこんでいました。


『私は食材を見て献立を考えるの、食材を命と考えたとき、活かすためにはどうすればいいのか、心をこめて慈しむように調理すればぜったい美味しくなるんですよ。おいしいと感じて食べたときそれが自分の命となるんですね。』


『「祈りうちに今を生きる」というのが今の私の心境なんですよ。今というのが一番大事で、5年後10年後の計画の為に進むのではなくて、今を生きる事によって先の道が示されてくるし、自分の目的に向かっているわけです。目的に重点を置いてやると足元が不安定になりますね。手を合わせての祈りも大切だけど、行動、生活そのものが祈り。こうしている間も私にすれば祈りですよ。具体的には出会う一人ひとりを大事にして小さいと思われる事も大切にしていくという事です。』


『苦しむときはとことん苦しみの。もうね苦しみきれなくて疲れるくらい。それくらい苦しんでそこから這い出すんですけど、這い出す時は自分の好きなものをやりはじめるの。そうするとそれに集中するでしょう。そうしている内に苦しむ事出来なくなっているから、順々に軽くなってくるの。そうするとまた次の苦しみが出てくるんだけど、それを繰り返しているわけですよ。それでも苦しみが苦しみで終わらないんです。苦しみが必ず喜びに変わっていく、喜びに向かうその途中であると感じています。だから逃げたりはしないんです。そう繰り返しているうちに段々強くなって来るの』


佐藤初女さんは、2016年2月1日午前2時半ごろ、乳がんのため青森県弘前市内の病院で昇天されました。94歳でした。


盛岡で初女さんの講演会を企画したり「森のイスキア」を訪問し、初女さんの足がむくんでいたので手当をさせていただいたことなどが思い出されます。


初女さんありがとうございました。


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◉呼吸道ワークショップ in  仙台

講師 清水友邦


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