近未来療法体験

 退行催眠療法で、前世や、小さな頃の自分を癒し解放した後に、最終段階でいくつか選択することが可能。

中間世という、魂が肉体を脱いで行く場所に誘導され、高次元存在(マスター、守護霊など)に会ったり、亡くなった方やペットに会うことが出来る。

また、お花畑という安全地帯では、近未来に進んだり、胎児期(お母さんのお腹の中)に戻ることも出来る。

それらの中で、近未来療法について、記録しておく。

私の考え。

未来は決まっていないと考える。現在の自分の思考や行動から、進む可能性の高い未来を見たり感じたりする。だから、人生の岐路で、選択を繰り返すことで、いく通りもの未来が可能性の扉を用意していると思われる。

例えば、人生のある段階で、仕事を辞めようか悩んだとする。右の道を選択すると、そのまま仕事を続ける道が続く。もしかしたら、過労で倒れ、休職していたり、反対に昇進して、責任ある任務を遂行しているかもしれない。左の道を選択すると、退職し、自分のやりたかったことに挑戦しているかもしれない。移住したり、カフェを開いたり、学校で勉強しているかもしれない。

私たちは無意識に、自分が体験したい未来を選択しているが、俯瞰すれば、数えきれない未来の可能性が広がっていることに気づくだろう。

私たちの人生には、自由意思の法則が働いているので、自らが恐れを手放し、本来の自分が望む選択を繰り返し行動していれば、どんどん心地よい未来を創造する。エゴの囁きのままに、不安や欠乏感をベースに選択を繰り返すと、不安や不足を現実に創造し続ける。

催眠療法の先生は、blogで、「人生に逆らわず、流れのままに生きる」と自由になると書いている。人生は、抵抗すれば苦しくなる。川の流れに逆らえば、泳ぎ難い。流れに乗れば、楽に進んでいく。この川の流れに乗ることが、本来の自分として生きることではないかと思う。

本来の(本当の、本質の)自分とは、潜在意識の奥深くに存在する。穏やかで満たされた愛の存在であり、広大で自由な意識だ。

そこに繋がるために、不要な自我(エゴ)をいかに手放していくかが大切になる。その手法が前世療法や年齢退行療法であるが、過去の自分を癒すことがポイントとなっている。

さて、退行療法セミナー実技で、自分の近未来(3~5年後)を見てみた。

一回目

誘導に従い、近未来のある場面に到着。なかなかイメージが現れてこない。ぼんやりしている。過去はとてもハッキリした映像が見えるのに、なぜだろう。いく通りもあるパラレルのどの場面を見に行くか、無意識にサーチしているのだろうか。

やがて、ぼんやりしたイメージが浮かんでくる。それを顕在意識で判断せず、ありのまま受け入れていく。

私の見たイメージは、白い50cmくらいの、やや縦長の箱のようなものが、一面に積み上がっていて、それぞれの箱の真ん中にグレーの丸がついている。穴が開いているのか、細胞核のようなものなのか不明。箱はカッキリした四角ではなく、角は丸みを帯び柔らかい感じ。もし私がミクロ視点を持ち、体内に潜入したなら、細胞群を眺めたようなイメージでもある。箱は無機質ではなく、命あるような温かい感じ。もしかしたら、魂の故郷は、こんな感じ?誰かの体外離脱体験談を読んだ時に、肉体を離れた魂が存在する場所では、淡く光輝く泡が、無数にくっつき合っていたと表現されていたのをふと思い出した。穏やかで静かな心境。一切のブレがない、ありのままの安心した感覚を味わう。

翌日、二回目。

前日の未来が、どう解釈したらよいのか分からなかったため、セラピスト役の受講生にリクエストし、近未来へ誘導してもらう。

雲の中みたい。モヤモヤした白ぽい視界。だんだん、霞が晴れてくる。青空に、羽のように長くなびく美しい雲が、いく筋も流れている。私の視界の左下隅に、光の玉のようなもの。太陽ではないが、太陽のように力強く輝いている。地面を感じない。空に浮いているみたいな感覚。私が空にいると仮定すると、下界に、小さな何かがチラッと見える。上から遥か下を見下ろすことも出来る。下に何があるのかはよく分からない。穏やかな心境。とても静か。

解催眠後

「これは、まだ、未来が決まっていないということなのかなあ?」と戸惑っていたら、講師が過去のクライアントの例を話してくれた。

近未来療法を受け、あるイメージを見たクライアントは、その時は、それが何を意味するか分からなかった。そして、セッションから一年後、講師のところにクライアントからメールが届いた。「先生、あの時のイメージが、何を意味していたか、ようやく分かりました!」と喜んでいたそうだ。潜在意識は、本人に必要なイメージを届けてくれるが、理解は一年後にやってくることもある。そんな面白い話。

「未来は今ハッキリ分からなくても大丈夫。いずれ、すべてを理解する時は来る。安心して今を生きなさい。」と、神様からメッセージをいただいたような不思議な気持ちになり、ポロっと涙が一筋流れた。

いずれにしても、近未来に感じた感覚は、穏やかで静かでありのままに満たされた心境だった。美しい大空と一体となるような、限りなく壮大で自由な自分が約束されているとしたら、とても幸せな未来なんだろうなあと思った。

追記

昨夜、バイオリニスト葉加瀬太郎のコンサートに行ってきた!生の音楽は、やはり素晴らしい。至福のひとときだった。

Newアルバム『SONG BOOK』を今朝聴いていて、不思議な感覚になった。

お馴染みの「情熱大陸」「博士ちゃん」「エトピリカ」「Another Sky」と続くのだが、私の頭の中は、一連の壮大なストーリーが展開。瞑想状態だったのかもしれない。見たビジョンは

優しい色合いの光に満ちた空間。無数の柔らかな粒々が、蛙の卵のようにくっつき合って、ユラユラ揺れている。

やがて、ひとつ、また、ひとつと、ゆっくり離れ、上昇していく。

無数の光の大群となり、宇宙空間を流れ星となり、進んでいく。はち切れんばかりの喜びに満ちたエネルギーたち。

無数の光は、歓声を上げながら、美しい地球へ次々、飛び込んでいく。

光の洪水。パンッと破裂。産声、歓喜に満ちた空間へ押し出され、笑顔の母の表情。温かい胸に抱かれる。生を受けた喜びを小さな体内から爆発させる。赤ん坊の大きな泣き声は、生命の歓喜のハレーション。言葉にならない。突き抜けるような、喜びしか存在しない瞬間。魂の、最大級の望みが叶った瞬間をただ味わう。「生きる!生きる!生きる!」

赤ん坊から、幼児、青年、父や母、老人、目まぐるしく人は生まれ、成長し老いる。ひとつの人生はコンマ何秒で、過ぎ去る。笑顔や泣き顔や、喜び、苦悩の表情、様々な感情。過去からいくつもいくつもの数えきれない人生のシーンの連なり。戦争に送り出す我が子を抱きしめる。喪失の慟哭。憎しみに我を失う燃えるような目。やがて、鎮静し、呆然と大地に佇む。荒廃した世界。すべてを失った大地に芽吹く小さな命。緑は、やがて世界を覆う。海原を自由に泳ぐイルカ。ジャンプすると、クジラの視点に、海の底に転じ、魚の視点。大地へ風のように意識は飛ぶ。長い鼻を振り上げる象、親子で寄り添うキリン、シマウマを追いかけるライオン、逃げるシマウマの視点。意識はつむじ風のように大地を駆け巡り、急峻な山の頂へ。風にそよぐ可憐な花の意識へ。大木の葉っぱの一枚へ。枯れて地面にヒラヒラと舞い降りる。地面を歩く蟻。見上げると、舞い踊る蝶々の意識へ。回転する地球の全体像。太陽が、光を放ち、光の粒々が、地球全体を埋め尽くしていく。

私は、光の尾をなびかせて、宙を駆けていく。一直線に、大きな大きな愛の意識の中へ。「ただいま!」還ってきた!私は還ってきた!

至福と無限大の安心に包まれて、やがて眠りに落ちていく。壮大な旅の終わりに、安らかな表情となり、全体に溶けていく。

涙を流しながら、壮大なビジョンを走馬灯のように眺めていた。時間にすると10分くらいだったろうか。

ああ、これでいいんだなあ。私は今を生きている。これが魂の願いだったのだ。

「生きること」

シンプルに、それをやりたかったのだ。

腑に落ちた、スッキリした気持ちになった。

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