自分の力で気付く意味

 先ほど、湯船に浸かってぼんやりしていたら、気付きが起こった。

人は、自力で気付くことに意味がある。

ということ。


例えば

何かに悩んでいる人がいるとする。大層な苦しみだ。

見ているのは辛いし、早く解決してあげたいのが人情だろう。少しでも早く、楽にしてあげたいと思う。

そこで、つい、いろいろアドバイスしたり、手を出してしまう。

しかし、もしも、その苦しみが相手の魂の学びにとって必要なイベントだったとしたら。いろんなアドバイスは、全く意味を成さない。なぜなら、自分で問題点に気づかないと、自分を変えることは無いからだ。

Aという考え方がBという問題を起こしている。だから、Aを手放しなさい。と誰かがアドバイスしたとしても、当人はAを手放すことはない。自力で到達した気付きではないので、学びになっていないからだ。

当人は、Bにより、大いに苦しむ。解決策を求めて迷走する。いろんな人に頼りアドバイスを求めてもみる。しかし、自力で問題の本質に向き合うまでは、Bは解決することはない。魂の学びが目的なので、目的を達成するまで辛い時期は続いていく。

大抵は、苦しみのどん底まで落ち、すべてを手放し諦めた時に、気付きはやってくる。その気付きは自ら苦労して手に入れた宝だ。魂に学びとしてしっかり刻まれる。

辛い思いをされている方を見守る立場の方は、何とかしたいと動き周り、助言をし、手を差し出し、気を揉むかと思う。それは人情というもの。

しかし、相手の学びのタイミングが来なければ、問題は去ることはない。一時的に去ったように見えても、似たような問題はまた起こる。本人が、本質に向き合うまで。繰り返される。

助言しても、全く聞いてくれない。どんどん問題が悪化していく。と悩むかもしれないが、相手は、苦しむ体験を通し、何かを学んでいるのだと、理解してほしい。見守るのは辛いが、相手の人生を尊重し、ただ、愛を送る。人を変えることは出来ない。変えられるのは、本人のみなのだから。

誰かの助言で問題が解決したように見えても、それは、たまたま学びのタイミングに合っていたからで、切っ掛けにすぎない。助けたいと願っても、本当に助けられるのは本人しかいない。

答えは本人が見つけるしかない。トライアンドエラーを繰り返して、遠回りしてでも。

他人から得た答えは、他人の人生観からくる価値観だから、近道に見えるけど、真実の答えにはならない。

真実は、自分の中にある。

敢えて、渦中にいるあなたに助言をするとしたら

本当の自分に、本気で向き合って欲しい。

外の価値観に染まった偽りの自分ではない。あなたそのものを見つけ、救い出してあげて欲しい。

あなたが本気で向き合うならば、真実の自分は、決して裏切らない。必ず事態は好転する。

魂の本質に目覚めていくことが、あなたが人生に格闘している根源的な意味なのだから。



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