助けたいという罠
先ほど、バイト先で書架の整理をしていたら、心の中にメッセージが響いた。
「罠にはまってるよ。」
え?どういうこと?
「そもそも、助けなければならない可哀想な人も、教えなければならない何も知らない人もいないからね。」
あ、そうか!
「ほら、現実という幻想ゲームに入り込みすぎてしまってる。目の前人の問題は、あなたが作ったもの。相手を通して自分が学びたいことをやってもらってる。助けたいと思っている間は、相手の問題は消えないし、助けなければならない可哀想な人が今後も次々現れるよ。」
うわぁ、本当だ。いつの間にか、思い上がってしまった。
「あなたは、現実や人との関わりの中で、出来事を鏡として学んでいる。本当の自分を知ろうとしている。目の前の問題は、気付きのためにあなたが起こしている。相手は、あなたの課題に協力してくれているのだからね。時には、嫌われ役までこなしてくれる、太っ腹な魂なんだよ。今回のことで、何を学ばせてもらった?」
ああ、そうなんだ。私が助けているんじゃないんだ。私が本来の自分に目覚めるために、相手は胸を貸してくれていたんだ。ああ、何て思い上がり。
「人と人は、それぞれの課題をこなすために、協力しあっている。そもそも、人は、宇宙根源からきた完全な存在。足りないものなど無いのだよ。上下もない。すべて、満たされていたことを、一旦忘れ、だんだん思い出していく。その過程で気付きを得て魂を磨いている。」
はい。なんか、殴られたくらいショックですが、目が覚めました。
「気づいたら、軽やかに解放していきなさい。胸を貸してくれた相手に感謝して、次に進みなさい。エゴの罠にはまってる場合ではないよ。」
本当だ。助けてもらったのも、教えられていたのも、実は自分の方なんだ。こんなに深い学びを与えてくれた、相手に心から感謝だ。人と人の関わりって、なんて奥深くて愛にあふれているんだろう。
ありがとうございます。気付きをいただきました。
ちなみに、メッセージをくれたのは、ちょっと賢い自分(ハイアーセルフ?)ではないかと思う。だんだん、偽りの自分である着ぐるみが脱げてきたかな?
来週、とあるクリニックに、催眠療法を学びに行くので、施術者側が陥りやすいエゴの罠について、急遽学んでおく必要があったのだろう。「困難を抱えた人を救いたい。役に立ちたい。」という思いの背後に潜むエゴは、とても重いエネルギーだ。相手に何かが足りない。という前提だから、○○してあげているという、優越感にも似た意識に陥ってしまう。教えてあげなきゃ。変えてあげなきゃ。と躍起になり、コントロールしたくなる。
地の時代には当たり前だったかもしれないが、風の時代は、ある意味、ドライになる。「それをやることが楽しいからやる。学びたいから喜んでやっている。」という、軽やかなエネルギーがこれからの私に必要となるのだろう。各々の貴重な体験なのだから、干渉しない。尊重し敬意をはらう。
本で、面白い医者の話を読んだことがある。
患者が、どんなに自分が苦しんでいるか、切々と訴えたところ
「それは、いい経験をされていますね。」と、その医者は、ニコニコ聞いている。
一般的な医者は、「大変ですね。辛いですね。お薬出しますね。」と、患者に共感し寄り添う。患者は。やっと解ってくれる人がいた。と、涙を流すかもしれない。
なので、件の医者は、時には患者から「馬鹿にしているのか!」と叱られたり、呆れられたりするらしい。おそらく、気分を害した患者は、もうその医者の元には訪れない。
その医者は言う。
「いい医者は、患者を治そうとしない。」
この言葉は、ずっと引っ掛かっていて、最近ようやく少しだけ理解できるようになってきた。
病気は、本人がつくっている。(気付きのために引き寄せている)だから、気付きが起これば、患者自身で勝手に治っていく。という基本の考え方がある。
宇宙エネルギーを利用する気功治療でも、施術者が、「治そう。治そう。」とすると、エネルギーは作用しない。なんの意図もなく、無私の心でエネルギーを注ぐと、宇宙エネルギーによる肉体の癒しが起こり治癒が始まる。たまに、気功エネルギーを受けて、涙を流す患者がいるが、感情の浄化が起きたのだろう。
過去からの体験を通し、身につけてきた重い波動のエネルギー(常識、思い込みなど)を手放し、本来の軽い波動の自分に目覚めていくことで、もう本人は病を必要としなくなる。
そもそも、病は、目覚めのためのツールであり、体からの愛にあふれるメッセージである。病があるから、人は考え方や生き方を変化させられる。苦しいから、早く逃れたくて、否応なしに自分と向き合うからだ。
そんな仕組みを知っている医者は、きっとどの患者にも、「素敵な体験ですね。」と心から賞賛を送りたくなるのだろう。
風の時代は、こんな面白い医者が増えるかもしれないな。楽しみだ。
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