寅さんセラピー
映画 「男はつらいよ50 お帰り寅さん」を観た。
寅さんシリーズは、特に好きというわけではないが、バス旅行の帰りに車内でビデオ上映されたりすると、つい夢中になり、泣いたり笑ったりしてしまう。
大抵の日本人は、抵抗なく楽しめるのではないだろうか。なぜかというと、古き良き時代を懐かしく思い出し、それぞれの場面で、我が人生と照らし合わせることが出来るからだろう。寅さんのストーリーが刺激になり、過去の感情が甦る。気がつくと、あんなこと、こんなことを記憶に甦らせ、はたして、寅さんの映画で泣いているのか、自分のことで泣いているのか、境目が分からなくなる。
過去の感情は、肉体に記憶される。気功エネルギーヒーリングの回でも紹介したが、辛かったり悲しかったり怒ったりした経験のトラウマは、浄化しない限り、肉体のどこかに宿り、視野狭窄的なマインドとして、私たちの生き方を困難にしてしまう。トラウマの手放しは、様々な手法のセラピーで扱われている。
どんなネガティブな感情も、味わい尽くし、当時の自分を受容し、不要なマインドを手放す。このことは、ブログでも繰り返し紹介してきたが、面白いことに、寅さん映画を観ていても、同じことが起きていることに気がついた!
寅さんは、感情の開放につながる。
寅さんセラピーと名付けたい。(笑)
もしかしたら、時代の共通体験が無いと当時の感情が沸き上がってこないかもしれないが、昭和20~50年代生まれの方々には、ぜひ試していただきたい。ほんとに、忘れていたいろんな思い出が甦るので、それだけでも癒されると思う。
寅さんの実家は、いつも大騒ぎだ。ちょっとしたトラブルが発生し、感情の行き違いで、怒ったり拗ねたり。しかし、根底には相手を思いやる優しさがある。その優しさが、ありがた迷惑だったりするのだが。「もう!煩わしいなあ。放っておいてくれよ!」と、ついつい憎まれ口を叩き、喧嘩が巻き起こり 、「ああ、怒っちゃった。」と笑う。感情むき出しでぶつかり合う家族や近所の人々が、愛おしい。
気がつくと、泣いている私。特に、悲しい場面があった訳でもないのに、この切ない感情は、何だろう?
感情むき出しでぶつかり合った自分の家族を思い出す。行き違いの原因なんて、いつも些細なことばかりだ。すぐ機嫌を損ね、怒ったり泣いたりする親。振り回され、いつもクタクタだった。成人してからは、経済的に自立したのもあり、距離を取ることを覚えた。激しい感情を嫌悪してきた。
私は、家族の感情的な言葉を真っ正面から捉えすぎてきたのではないだろうか。武器を持って襲ってくる相手に対し、ただ、呆然と突っ立って、いとも簡単に切付けられる。無防備すぎた。すいと身をかわすだけで良かったのに。まともに受けた傷は未だに塞がっていない。
しかし、寅さんメロン事件の場面を観て、半分泣きながら大笑いした。私の心の傷など、幻想だったのではないか?メロンが食べられなくて恨み言を言う寅さんが、我が親と被った。トラウマだと思い込んでいただけで、実は、笑い飛ばせる類いのことばかりだったのかもしれない。
寅さんたちの喧嘩の根底には、相手に対する信頼と愛がある。感情が行き違い、ぶつかり合っても、修復する見事なしなやかさがある。映画を観ていると、喧嘩すら、美しいと感じる。そして、涙がツツーっと流れてくる。あの日あの時の、我が家の場面が甦る。
深刻になりすぎていたなと思う。我が家のあの場面を映画にしたら、喜劇だ。私は、頭から湯気を出しているタコ社長だ。親は、寅さんなのかな?
煩わしいけど
根底には、いつも愛がある。
人間って、面白い。
人生は幻想だとも言う。自分が創り上げた虚構の世界だとも。とすれば、現実は映画であり、家族は配役であろう。真剣に役にのめり込むからこそ、いろんな感情を味わえる。憎らしいことを言ってくる相手は、私主演の映画のために熱演してくれる名俳優なわけだ。
寅さんを観て、家族を思い出して泣ける自分がちょっとだけ、嬉しかった。どうにもならない武骨な人間の性、人間臭さを切なさとともに愛おしく感じる私であった。
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