健やかに生きる人の謎

 数日前、姉が我が家に遊びに来た。

ランチやおつまみを用意し、昼間から二人でビール乾杯。思い出話に花が咲いた。姉となら何時間でもしゃべっていられるのが不思議だ。

姉は、明るく活発な子どもだった。

おたまじゃくしを捕まえてきて、玄関先で飼育していたら、ある日、みんなカエルに成長。玄関でカエルがわんさか飛び回り、母に叱られたとか。

カマキリの卵を野原で発見し、家に持ち帰ったら、孵化してしまい、部屋中にカマキリの赤ちゃんがわんさか歩きまわり、母に叱られたとか。

小川で、アメリカザリガニや、鮒を捕まえてきたり、近所の森に探検に行ったり。日が暮れても家に帰らないので、母が怒り心頭、扉に鍵をかけてしまうため、家に入れなかった時もあったらしい。

そんな時、姉は、庭の木に登り、父が帰宅するまで待っていたそうだ。父に鍵を開けてもらい、何食わぬ顔で、スルリと家に入り込む。地球の申し子のように、全身全霊で遊び回っていた、やんちゃな少女であった。自然に恵まれた環境だったので、姉らしさが存分に発揮できたのではないかと思う。

そんな、おおらかな性格の姉なので、嫌なことがあっても、翌日にはケロリとしている。激しい姉妹喧嘩をしたとしても、姉はすぐ忘れ、私は何年も何年も、忘れない。同じように育てられたのに、どうしてこんなに違ってしまうのだろうか。性格は、後天的なものではなさそうだ。遺伝とか、前世の経験とかが、性格の大枠を形成するのではないかと思う。

姉と話していて、思い出したこと。

小学生の頃、八幡神社のお祭りで、金魚すくいをした時。私は姉と違い、不器用だった。確実にすくいたかったので、溶けやすいコーンではなく、プラスチックのお猪口ですくうことにした。ちょっと金額は高いが、失敗はない。乏しい小遣いを投入するので、リスク計算をしっかりしていた。金魚すくいのドキドキよりも、ノーリスクを選択するあたり、余程、遊びの無い性格だったのだろう。私は、そのお猪口で、可愛い出目金を一匹すくった。喜んでいたら、屋台のオジサンが、○○○○と、注意してきた。訳が分からずキョトンとしていたら、オジサンが、いきなり私の握っているお猪口を逆さにして、出目金を逃がしてしまった。ショックだった。悲しくて、胸が潰れそうになり、おそらく泣いて帰ったのだろう。帰り道の記憶は無い。

姉は、そのことを覚えていて、「出目金は、二匹いっぺんにすくわないとダメだったんだよね。」と言った。私も、そのルールは、あの後気づいていた。しかし、屋台のオジサンの強引な仕打ちに、深く傷ついてしまい、当時のショックは、今でも鮮明に覚えている。トラウマになってしまったのか、大人になった今でも、金魚すくいや、出目金を目にすると、悲しい気持ちになる。

そう、私は、かなり執念深い性格なのだ。傷ついた記憶は、いつでも直ぐに取り出せる引き出しに入れてある。しょっちゅう引き出して悲しみや悔しさを味わうから、ヘビーローテーション甚だしい。着慣れた衣服のように、すっかり身体に馴染み、皮膚の一部に溶け込んでしまうまで、傷ついた記憶とは仲良しである。擦り切れても手放せない、この執念深さには、自分のことながら、不可解である。

だから、姉と思い出話をしていると、姉の精神の健やかさが眩しくて、羨ましくなる。同じ体験をして、同じ様に傷ついたとしても、姉は軽やかに手放して、翌日にはまっさらな状態で機嫌よく生きている。心が、しなやかなんだろうなと思う。姉には、無意識に身につけた生きる智恵がある。それは何だろう。

姉は、仕事をしているが、クレーム対応が得意だと言う。今は、窓口対応の責任者をやっているので、姉が活躍するのはトラブルが起きた時ばかりだ。最初は怒鳴っていた客も、二時間も経過すると、「話しを聞いてくれてありがとう。」と礼を言って帰るらしい。一部、どうにも出来ないトラブルもあり、上司に譲ることもあるが、大抵は何とかしているそうだ。そんなクレーム最前線で、健やかさを失わない姉を心底尊敬する。

私はダメだ。窓口対応でも、電話でも、相手に怒鳴られると、超ビビる。自分は悪くないのに、ストレートにグサリと傷ついてしまう。最悪のトラブル対応の時は、二週間寝込んだこともある。

姉と話していて、分かってきたこと。

姉は、相手との距離の取り方が上手だ。相手が言葉の攻撃をしてきても、自分と切り離すことができる。自分の大切な部分は誰にも侵させない。攻撃をすいすいかわして、「そうですか。」「そうなんですね。」と淡々と話を聞き、その時の自分に出来る目の前のことをやる。本当に強い人は、愛が多いのではないかなと感じた。姉は日頃から、自分を愛で満たしているので、外の世界で何が起きても変わらない。不要なものは受け取らず、機嫌よく生きていけるのだ。トラブルを避けて生きるという意味ではない。トラブルに対し、現実的な対処はするが、自分のエネルギーを相手に明け渡さないというイメージだ。

私の場合は、相手が言葉の攻撃をしてきたら、心は、縮み上がってしまう。オロオロする。自分がどう変われば相手が怒りをおさめるかを一生懸命考える。相手に飲まれて、自分のエネルギーを自ら差し出してしまう。奴隷のように。エネルギーを吸いとった相手は元気になり、気持ちよくなる。だから、エネルギーの世界では、私は格好のターゲットになってしまう。私はエネルギーをすべて差し出してしまうので、日常的に枯渇状態。その先にはうつ病が待っていた。ということだろう。

姉が無意識に身につけた智恵を、今さらながら、私は、意識的に身につけようとしている。目に見えないエネルギーや潜在意識について、せっせと勉強をしている。同じような環境で同じように育てられたのに、どうしてこんなに生きる力が違っているのだろうか。たくましい姉が羨ましい。

そんなこんなで、姉とおしゃべりしていた時

「何だか、植物たちが、やたら話しかけてくる。」と言ったので、さらにビックリした。

姉は、スピリチュアルには全く興味がない人なので、私からスピリチュアルな話題を振ったことはない。姉も、普段は植物と話をしたことは無い。しかし、この日、我が家の窓辺に並んだ観葉植物たちが、姉にさかんにアピールを仕掛けたらしい。

「あんたの家の植物は、やたら話しかけてくる。アロエが、私はこんなに自由よ。と言って、両手を広げている。隣のトラノオが、アロエの手がチクチクして、ちょっと嫌がってる。ヒイラギは、元気が無い。ベランダのセージは······。薔薇は、······。」

と一気に言って、剪定した方がいいとか、液体肥料のこと、鉢を大きくすることなどアドバイスしてくれた。ただ、姉は植物をあまり育てた経験も無いので、こんな類いのことをアドバイスする人ではない。本当に、植物たちが、姉を通して、要望を伝えてきたのだろうなと感じた。どうやら、日頃私が、植物たちに話しかけているので、我が家の植物は、やたらおしゃべりらしい。私が、この数ヶ月、植物を剪定すると、痛がるのではないかと躊躇していたので、「そんなことはないから、切ってくれ!」と姉を通して伝えてきたのだった。

スピリチュアルを学ぶ過程で、植物リーディングを教わるが、姉は誰からも教わらずに、自然にリーディングをやっている。私より姉の方が、ナチュラルなスピリチュアリストなんじゃないかなと感じた。自分の心を健やかに守るやり方も、オーラ強化や、宇宙エネルギーの取り込みなどで説明できるが、姉はそれすら無意識に行っているのだから。

人間は、誰もが宇宙存在だ。魂のことを、誰もが無意識に知っている。健やかにご機嫌に生きている人は光輝いている。彼らのそばに居ると、なぜだかワクワク楽しくなったり、元気になる。彼らから、愛のエネルギーが溢れ空間に放出されているからだろう。

こんな素敵な姉から、学ぶことはとても多い。健やかに生きる達人として、これからも目標にしていこうと思う。

以下は、番外編

そんな、大好きな姉と、前世ではどんな関係だったのかな?と興味が湧いた。姉と会った翌日に、一人、セルフ前世療法を試みた。単なる好奇心だったので、何となく、仲良しの楽しい記憶を期待しながら誘導音声を聴いた。

真っ先に、動物のヒョウの姿が見えた。ライオンでもトラでもなく、ヒョウだ。なぜ、自分の中でもマイナーな動物の姿が現れたのだろう?

東南アジアらしい風景。緑滴る森、泥の道、半壊した木製(竹かも?)の家。壁はなく、細い柱剥き出し。屋根は何かの葉っぱのよう。ただ、立たずんでいる私。呆然としている。裸の子どもらしい。最低限の布は巻き付けているみたいだが、服とは言えないような感じ。貧しいからか、暑いからかは不明。

次に、パッと場面展開。若い女性が赤ちゃんを抱いている。草木染のような濃いピンク色の布に茶色で細かな紋様が描かれたワンピースを着ている。インド?

急に、不快な感覚が襲ってきた。催眠中にこんな感覚になったのは初めて。すぐに催眠を中断した。まだ、この前世の記憶を見る準備ができていない。というか、思い出す必要は無い。と思った。

後で、ヒョウの生息地を調べてみた。範囲は広いが、東南アジアにも生息している。最近の人が襲われた動画などが出てきて、慌てて、スマートフォンを閉じた。

途中で止めてしまったのでわからないが、あの母親が姉で、私が子どもで、私が小さな頃に、姉はヒョウに襲われて亡くなったのかもしれないなと感じた。

現在の私は、野生動物は好きだし、ヒョウに恐怖心も抱いていない。しかし、小さな頃から、母親への執着は病的なほど強かった。母親が留守にしていると、心配で気が狂わんばかりになり、大抵、家で大泣きしていた。母が無事帰ってくるかどうか、そればかり気にしていた。そんな傾向は8歳くらいまで続いていて、母親には呆れられていた。自分でも、根拠の無い恐怖心が不思議でならなかった。おそらく、母親が出掛けた先で死んでいるのではないか?と妄想を抱いていたのだろう。

今世では、姉は大抵、私の側にいてくれたし、母が突然死した後は、まさに母親代わりだった。神経衰弱的な私をずっと支えてくれた。もしかしたら、前世のインド?で、子育て半ばで命を絶たれ、その埋め合わせを今世で行ってくれたのかな?と思ったりした。

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