存在しないものは存在しない

 

存在しないものは存在しない


何を当たり前なこと言ってるの?と思われるかもしれない

実は、このタイトルを目にした時

ドキッとした

なぜかと言うと

私がブログを書き始めて以来

いつも心のどこかで、気にしていた感情に、チクリと突き刺さったから

私のブログは、毎回読んでくださっている方々にはお分かりだと思うが

一般の方々の頭の中に

眉唾、妄想、怪しい、幻覚、嘘つきなどというワードが吹き荒れるだろうと、予想できるからだ。こういう世界が駄目な人には、嫌悪感しかないだろう

数年前、信頼する知人に、前世について語ってみたところ

「前世など存在しない!」ときっぱり言われて、その上、そんな世界を信じて進むなら、あなたとの関係を断つと匂わされた

私は、目に見えない世界のことを学ぶことが好きだったが、大抵の人は、嫌悪感を抱くのが分かったので、人を選んで話すしかなかった

正直、人から嫌われたくなかった

スピリチュアルな世界が怪しいイメージから脱却できないのは、

心身弱ってしまった人をカモにして、詐欺まがいの施術などで大金を巻き上げたり、洗脳したりして、純粋な人ほど、騙されてしまう事例が起こり得るからだ。だから、普通の感覚を持った人は、反射的に拒否反応を示すのは、当たり前だと思う。

また、お金や詐欺の問題以外に

存在しないものは存在しない

という心理も関わってくるだろう

心理学者のウィリアム.ジェームズは次のように言った

「超常現象を信じたい人には信じるに足る材料を与えてくれるが、疑う人にまで信じるに足る証拠はない。超常現象の解明というのは、本質的にそういう限界を持っている。」

超常現象の部分は、私が書いている世界では、神様とか、宇宙人とか、波動とか、に置き換えて読 める。私は、ひっくるめて、目に見えない世界のこと、と捉えたい。

量子力学の本を読まれた方には何となく分かっていただけるかと思う

この世界は、見る人の認識に従って構築されている

目に見えない存在は、虚数世界の存在

まだ、実態のない空想の世界だ

それらの存在が現実世界において確定するのは、その人の意識次第

だから、存在するし、存在しないと言うしかない

言えることは、世界を選ぶのは、私たち次第ということだ

私は、まだ、現実世界で生きていくしかないから、気を抜くと飛び上がってふわふわ漂いそうな意識を度々引き下ろしながら、生活している

しかし、意識を拡大するに委せていると、ブログに書いているような体験をするようになる

私は、今、植物とも、たまには空とも会話をする。メッセージも、美しいギフトもいただく。時々は妄想でないことを確認するために、現実世界に見える現象を引き寄せて、自分で自分を納得させている。

本日の投稿の冒頭にある写真は

我が家の家族

那須出身 スナネコさんと、

イギリス出身、クマさん

彼らが、どんな感情を抱いているのか、伝わってくるので、我が家では当たり前のように話しかける

夫も、優しく話しかけて、たいそう可愛がっている

この写真は、先月の

月蝕の夜のひとこま

せっかくの月が雲に隠れてしまい

ちょっと気落ちしている二人の後ろ姿

とても豊かな感情が伝わってくる

他人から見れば、彼らは単なる物質であり、感情を持つはずがないと思われるだろう

しかし、私が選んだ世界では

ぬいぐるみも、花も、家電さえも

思いを持っていて、私たちに優しい愛情を示してくる

大好きと示せば、嬉しいと反応が返ってくる

昨日は、ベランダに野生の小鳥が二度も訪問してきた

夫も私も嬉しくて、驚かせないようにそっと話しかけた

また、遊びに来てね と

我が家の向かいにそびえ立つ鉄塔にはカラスが住んでいて、朝早く出勤し、夕方帰宅する

カラスが帰ってくると、

お帰りなさい。一日お疲れ様

と、声をかける

何十メートルか距離はあるが、気持ちは繋がっているように感じる

石ともお話するが

長くなるので、今日はそろそろこのあたりで。

私が選んだ世界は

美しいものにあふれている

他の人には、あり得ない世界であっても

私には、存在するのである






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