人間の本質が現れる時
午前中、一人で買い物に出た。マンションのエレベーターに乗る時に、狭量な自分を意識して、情けなくなった。こんな事、思いたくないのになあ。何で、こんな人間なんだろう。と、人間のエゴに嫌気がさしていたところ、こんな意識が、私に降りてきた。
そうかしら?人間は、あなたが思うほど、狭量ではないはずよ。人は、危機的状況になった時に、本質が現れるの。思い出してみて。あなたは、どうだった?
空を見上げたら、大きな翼を羽ばたかせる存在が見えた·····ような気がした。以下のことは、ほんの数秒、走馬灯のように頭を過った記憶だ。良かったら、読んでほしい
10年前の3月11日。私は、図書館で正職員として働いていた。責任あるポジションだと自負していたから、館長不在のその日は、館内のお客様の命は自分が守らなければならないと無意識に感じていたと思う。
地震の揺れは、思いの外、徐々に激しさを増し、重い書籍が並んだ棚は、生き物のようにぐにゃぐにゃ揺れ、本がバサバサ落下を始めた。
私は、咄嗟に動いた。職員が詰めているカウンターから死角になった、書架に囲まれた位置にいるかもしれないお客様を助けに行かねばと無意識に感じて、走った。思考はまったく使っていない。本がドサドサ降り注ぐコーナーへ、嵐の海の船上のような床を棚にぶつかりながら走った。
一番、危険地帯と思われた箇所に、一人の男性がいた。「大丈夫ですか!」声をかけた。「大丈夫だから!あんた、危ないから、動かない方がいいよ!」お客様から叱られた。揺れに足をとられながら、死角コーナーをぐるっとまわり、取り残されたお客様の状況を頭にいれた。皆、とりあえず、落下する書籍の雨を避けるスレスレの位置に踞っていて、命の危険は今のところは無いと判断した。
カウンターでは、一人の非常勤女性が、大きな声で、「落ち着いてください。書架から離れてください。頭を守ってください。」と、館内のお客様に声をかけ続けていた。普段、人一倍大人しく、大きな声など聞いたことのない女性だった。意外だったが、彼女の大きな腹の底に響き渡る声は、不思議と「大丈夫!」という拠り所になった。館内は、静まりかえり、全員落ち着いていて、ただ、揺れが静まるのを待っていた。全員が冷静さを保てたのは、彼女の声のおかげだと思う。
二階は、吹き抜けを渡る陸橋のような渡り廊下で、閲覧室と繋がっていた。この渡り廊下が落下したら、大惨事だったろう。二階事務室にいた非常勤女性が、事務室から閲覧室に突っ走り、扉にしがみつき、お客様の避難路を確保していた。冷静に考えれば、落下する危険のある渡り廊下の上であるが、彼女たちは必死に、扉の開放を死守していた。今、思い出すと、彼女たちの一途な勇気に頭が下がるし、涙が出る。
館内の壁面を飾るレンガが、剥がれて落下していた
大揺れの館内で、揺れに身を任せ、冷静に雑誌に目を通し続けるお客様が数名。カウンターで、黙々と作業を続ける職員も数名。彼らの心境は計り知れないが、ある意味、猛者かもしれない。
もしかしたら、死ぬかも?そんな状況の中、誰一人パニックにならず、それぞれが、やるべきことをやった。特に、避難誘導訓練を日頃からやっていたわけではないので、この時は、人間の本質が一番現れたかもしれない。
私の本質はどうだったろう?川で溺れている人がいたら、闇雲に飛び込んで、激流に流されて呆気なく死んじゃう類いの人間だろうな。(笑)
今回、感心したのは、普段大人しく、自己主張しない、立場の弱い職員ほど、お客様のためを思って、無心に動いていたことだ。立場の上の、普段指示する立場にある職員ほど、固まっていた傾向にあるように感じた。つまり、人間性は、社会的立場に比例しないという証拠だと思う。市井の平凡な人間ほど、実は成熟しているかもしれないのだ。
数日後、図書館に、10代後半くらいの男の子がやってきた。イメージで申し訳ないが、日頃引きこもりでゲームばかりやっていて、対人関係が苦手というようなタイプ。彼は、被災地の人々が、避難所で寒い思いをしていることを知り、何か出来ないか、一生懸命考えたようだ。自分には何もないけど、買い置きのカイロが10個ほどある。被災地に届けたいけど、今は、自治体は、支援物資受付を拒否している。被災地に行きたいけど足がない。彼はそう言って泣いた。彼の真心が伝わってきて、一緒に泣いた。何かしたいのに、どうしたらいいのかわからない。日本国中が、苦しく、悲しんだ時期だったと思う。
彼の涙に後押しされ、被災地に直接行けないなら、私たちに何が出来るのか?図書館仲間と話し合った。兎に角、図書館なら情報だ。私たちは、自治体のボランティア情報や、災害関連の特集を組み、さらには、区内の市民活動を支援する施設と連携し、活動を広げていった。
勇気ある知人たちは、地震発生から数日、1ヶ月以内には行動を開始した。自家用車に水、食料、毛布を詰め込み、行けるところまで、北を目指した。
北海道の知人は、大きなリュックに食料を詰め込み、船で岩手まで下り、自衛隊ばかりの鉄道に便乗し、被災地に入った。
彼らが最初にアクセスした被災家族たちとは、いまだに交流があり、季節の農産物を送りあっているというから、被災者にとって、彼らの真心はどれだけ力になったことだろう。兎に角、生きてください。今を生き抜いてください。彼らの祈りは、絶望の淵で茫然自失している人々にとって、どれほど、生きる希望をよみがえらせたことだろう。
彼らは、被災地全体を救えたわけではない。真心を届けたとしても数名が限度であったろう。しかし、一生のうちに、誰か一人にでも希望を与えられたとすれば、もう、充分ではないだろうか?全世界の半分が、誰か一人に愛を送る。それだけで、戦争は無くなるのではないかとさえ思う。それほど、真心の力は凄いのだ。実は、人間は凄いのだ。人間の本質は、あまりに凄いのだ。
10年前の3月。恥ずかしながら、私は、親と些細なことで喧嘩をし、連絡を絶っていた。そして、大震災。電話もメールもつながりにくい中、数時間後、かろうじてメールが届いた。生きている。もうそれだけでいいと、感謝の気持ちが溢れ、涙を流した。
喧嘩の原因など、些細なことばかり。ああ言った。こう言った。あれしてくれない。これしてくれない。しかし、震災の瞬間、全てのエゴが吹き飛んだ。生きていさえすれば、いつかは会える。そう真剣に祈った。それが全てだった。
思い出した。そうだった。あの日、私たちは、一番大切なものに気が付いたのだ。平和な日常の中で、いつの間にか、互いに、忘れていってしまった。
人間の本質は、あまり、悪くもないね。私も、思うほど悪くもないね。忘れないようにしなきゃね。
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