夢をかなえる

 引き寄せの法則のことを、ちらっと書いてきたが、「引き寄せ」という言葉のエネルギーが、少々重いので、「夢をかなえる」という表現で、今日は書いてみたい。

あなたの夢は何ですか?と問われると、皆さん、大きなこと考えてしまいませんか?一生かけるに値するものとか。ころころ変わっちゃいけないとか。

夢は、小さくても立派な夢。自分を取り巻く状況でころころ変化するのも自然だ。日々、夢を描いて、楽しめばよいのだ。夢実現のために動いていると、ワクワクしないだろうか。夢は大きくて不変なものとは、誰が決めたのか?夢は自由に自分が決めればよい。

夢は何のためにあるのか。人間には、自由意思がある。人生は、好きなように創造してよい。創造してよいのは神様だけと思ってやしないか。人間は、宇宙根源(神様と表現する人もいる)から分離した存在。根源はこの宇宙の全てを創造した。「わたしって、何?」という意識から、全てが生まれた。自分を無数に分離させ、それぞれに、唯一無二の体験をさせて、自分という存在を知ろうとしている。兎に角、沢山の体験をしたいのだ。人生創造の原動力は、夢だ。

夢は、思考から始まる。「○○したいなあ。」そう考えた瞬間から、現実化が始まる。もっと高次元になれば、考えた瞬間に、願いは実現してしまうらしい。私たちは、三次元に居るから、現実化には時間がかかるし、行動をしないことには、何も始まらない。高次元から見れば不自由なのだが、私たちが、なぜ、わざわざ三次元の世界に生まれたかというと、その不自由さが、たまらなく楽しい!らしいのだ。紆余曲折やら挫折やらを経て、夢が叶った時、すんなり実現した時の、何百倍も喜びが大きいからだ。

宇宙の中での地球の特色は、「自然·感情」だそう。私たちは、感情をとことん、味わいたくて、地球を選んでやってきた。宇宙の中には、感情を捨ててしまった星もあるそうだから、地球は、貴重なのだ。怒り、悲しみ、嫉妬ですら、味わうべき大切な感情である。ネガティブな感情を避けようとする風潮があるが、宇宙から見れば、ポジティブもネガティブも、どっちも大切な体験。それを味わいに来たのに、感情無くして無の心境を目指すなんて、遊園地遊びに来て、ジェットコースターやお化け屋敷を体験しないくらいナンセンスな話なのだ。めちゃくちゃ怒りまくり、泣きわめき、嫉妬に狂えばよい。地球でしか味わえない極上の体験なのだから。

話が逸れてしまった。そうそう、夢である。

だから、夢に、大小はないし、成功も失敗もない。やってみればよいのだ。やりたいことに、どんどんチャレンジすればよい。上手くいかなければ、このやり方では駄目なのだな。と分かる。夢だったけど、自分に合わないと分かるかもしれない。失敗を通して、自分の理解が深まる。人生は、自分を知るための体験なのだから、夢が叶っても叶わなくても、

100%  all  OK!

今朝、私の夢って何だろうと考えた。やっぱり、本が好きだから、将来、何かを書いて、書籍になるといいなあ。私の本が書店に平置されること。が、私の夢。そんなこと考えていて、何の気なしに読んでいた本に、出版社作って自分の書いた本を書店に平置させた方の体験談を読むことになり、ああ、既に、私の思考がエネルギー場に現実化始めているなあと、宇宙法則の律儀さに、苦笑した。この方は、めちゃくちゃ苦労しているので、ちょっと怯んでしまったが、出版業界の内幕がよく分かり、勉強になった。まあ、この夢は、ゆるゆる持ち続けよう。時代が変われば出版業界の闇も変わるだろうし。

そして、思い出したのは、5年程前のこと。知人たちと、新しい雑誌を作り出した体験だ。

とある市民活動のワークショップで、中堅雑誌社に勤務する青年に出会った。彼は、自分の理想とする雑誌を作りたいという夢を語っていた。私は、地域のリトルプレス等を紹介するイベントを企画しており、彼と意気投合。私の夢と彼の夢を同時に実現すべく、行動を開始した。

行動を始めると、不思議と仲間が集まってきた。才能豊かな個性溢れる新しい仲間たちと、イベントを企画したり、雑誌のために、取材に出掛けたり、校正会議をしたり。毎日が刺激的で楽しかった。私は、彼の雑誌が末長く出版され続けられるよう、ずっと応援しようと覚悟を決めていた。自費出版の金銭的なリスクも含め、全てを背負うつもりだった。その時は。

夢のイベントは、仲間たちのおかげで実現し、成功をおさめた。イベントに合わせ発刊した雑誌も、知人たちの好意による大量購入のおかげで、黒字となり、次に繋がった。すべてが上手く行き、私は幸せなはずだった。

しかし、私はメンタルが落ちてしまったのだ。現実が辛くて、悲しくて、孤独感に苛まれた。喜び、楽しんでいる仲間たちの輪に入れず、なぜか人知れず泣いていた。彼らから離れたかった。話を持ち掛けといて、何と失礼な奴だろう。無責任甚だしい、情けない人間性を露呈していた。仲間たちに、一切、非はない。彼らは皆、素敵な人々だったし、私は、今でもひとりひとりを尊敬し、感謝している。

仲間の一人が、指摘してくれた。「あなたは、私たちを信頼していない。」この一言は、真実だったと思う。私は、絶えず、仲間に迷惑をかけてないか?実は辛い思いをさせてないか?ばかり気にかかり、一人背負い込む傾向にあった。仲間が力を集結したからこそ、夢が現実化したのに、私は、皆に迷惑ばかりかけた。という思いから、自分を責め、楽しい現実を苦しみに歪めてしまったのだ。これは、「自分は信頼に値しない。価値のない人間」という強固なマインドのせいであったと、今なら理解できる。

私は、その雑誌の創刊号にだけ、少し関わり、さっさと離れてしまったが、5年経過した今も、雑誌を出し続けている彼らを、眩しい気持ちで眺めている。彼らから、本当に沢山のことを学んだ。

この経験があったことで、学んだこと。私は、集団が苦手であり、リーダーも不向き。誰かの指示で動くのも好きではない。そして、不要なマインドを沢山抱えているから、まずは自分と向き合う浄化が優先事項。ということ。

以上が、私の夢実現の顛末である。人は、それを失敗と捉えるかもしれない。しかし、私は、いい経験したなあと、誇らしい気持ちになる。どんなことが苦手なのか、しっかり明らかになったことが何より収穫だった。体験を通して、自分を知ることができたからである。次にチャレンジするときには何を気をつけていけばよいか、課題も明らかになった。

夢は、実現することが大切なのか?私は、そうは思わない。過程こそが、一番の旨味だと思う。上手くいきそうで、いかないこと。問題が発生し、奔走したり、仲間割れしたり、仲直りしたり。感情をいっぱい味わって、たどり着いた先に、大いなる学びがある。夢を追うことは、自分を知るゲームのようなものだ。失敗を怖れず、どんどんチャレンジしてみよう。




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