冷たい人になる

 私は、感激しやすい。すぐ感情が揺れ動く。そして、感情のままにパッと動いてしまうことが多い。

一見、いい人に見えやすいが、実は、過去に学習しないため、騙されたり、他人にエネルギーを奪われて大変な思いをすることにつながる。

情に訴えかけてくるものに、実は闇が紛れている。という話を昨夜聞いて、気をつけようと思った。

可哀想!と思ったら、いつも反射的にパッと動いてしまう。自分にそんな傾向があると感じたら、ぜひ、この先を読んでほしい。

動物、子ども、貧困、病気、災害、戦争、等々。情に訴えかけられたら、私たちは、つい、何かしたくなってしまう。例えば、募金。そのお金は本当に、可哀想な人々のために使われているのか?お金の流れが見えやすいか?感情に惑わされてパッと動く前に、時間を置いた方がよい。人の良さにつけこんだビジネスは、悲しいけれど存在する。ボランティアも同じ。役に立ちたいと、尊い志を持って参加したとしても、困難を抱えた人の自立に繋がらない場合もあるし、本来は働きへの対価があって然るべきなのに、美しい精神にカモフラージュされ、助ける側が疲弊して倒れ、生活が破綻するケースもある。

人間として生きる上での基本は、自立。まず、自分の生活を安定させ、自身の幸せを一番に考えてよい。内面の欠けている部分を人助けで埋めようとしても、永遠に満たされることはない。自身の内面は、自分で満たすしかない。不要なマインドを手放して、本来の自分を取り戻す。まず、そこを優先しなければ、真の安らぎは得られない。

自分より、人のことを優先しなければならない。私たちは、そう教えられてきた。外から植え付けられた、いい人像は、強固なマインドとなって、私たちの日々の判断を狂わせてきた。

この世界が、光に満ち溢れ、善人ばかり住んでいるのであれば、いいのだが。認めたくないが、闇は確実に存在する。

闇を感じたら、そっと離れるしかない。闇にも愛を送り、世界を変える。そんな素晴らしい働きをしたいなら、自分の霊性をもっと上げる必要がある。今、自分がどの段階なのか、しっかり見極めたい。

あの大震災でも、瓦礫に埋まっている。助けてほしい。という嘘情報が消防署に多数寄せられ、迅速な救助の邪魔をしていたケースもあるらしい。わざと人命救助の足を引っ張る人々も、確実に存在するのだ。彼らの心の闇に付き合って翻弄されているよりも、もっと大切なことに自分を使いたくはないか。

対策としては

情に訴えかけられたら、一旦離れて、様子を見る。少なくとも、一拍置く。深呼吸して、冷静になる。

もやっとしたり、ザワザワしたり、最初に感じた感覚を大切にする。それは直感である。自分の魂は真実を知っているから、直感を使って知らせようとしてくる。

まわりに流されない。皆がやっていても、自分が違うと感じるなら、やらなくていい。

まわりが皆、いい人に感じる。自分が冷たい人間に思えて、孤独を感じる。その瞬間、マインドと魂感覚が闘っているのだと思ってほしい。

闇に気付いたとしても、無理に正そうとしなくていい。対立のエネルギーは、選ばない。そっと離れるだけ。

闇を経験して、学ぶ必要のある人もいる。経験は、各々が選んでいる。アドバイスくらいはしても良いかもしれないが、相手が変わらなくても気にしない。変えられるのは自分のみ。他人の心は基本、変えられないもの。

私って、冷たい人かも?そう思えたら、喜んでいい。不要なマインド手放しは、もう目前である証拠。

迷ったら、情報収集もある程度必要だが、一番大切なのは、自分の魂に聞くこと。私、どうしたい?と何度も聞いて、対話する。

心が疲弊するもの。エネルギーがどんどん減っていくものは、似て非なるもの。どんなに良さそうに見えても、気をつけた方がよい。関わってしまったら、よい経験をしたと思って、潔く去ろう。

以上、知ったように色々並べてしまったが、私もボランティアで痛い経験をしている。

ボランティアが悪いわけではない。人それぞれが魂経験に応じて体験するのであるから、魂が成熟すれば、奉仕に生きるのもありだろう。

私は、二年ほど、社会福祉協議会が主催する手話講習会に通った。ろう者の手助けが出来たら嬉しいと思っていた。学習はためになったが、講習会では一部のメンバーがいがみ合っていて、居心地が悪かった。ここに心休まる友を見つけられず、大抵、一人でポツンとしていた。卒業後は、区の手話通訳士の道があったが、選ばなかった。通訳はほとんどボランティアなので、彼らは本職を他に持つ必要があり、余暇をボランティアに注ぎ込んでいた。余程、奉仕の覚悟がなければ出来ないと感じた。今、思えば、私は自分の満たされない心を、ボランティアで埋めようとしていた。だから、講習会でも、いい人マインドに揺らされた人ばかりに出会うこととなった。あの重いエネルギーは、私自身が引き寄せていたのだと思う。

他にもいくつか団体を作ったり、手伝ったりしてボランティアを経験したが、最初は楽しくても、必ず人間関係で問題が起き、エネルギーが枯渇して、そこから離れることを繰り返した。なぜ、長続きしないのか、不思議で仕方なかった。

一番の原因は、いい人になりたい。という不純な動機だろう。いい人になれば、私は、人から愛される。大切にされる。そう思っていた。愛されていない、大切にされていない。そんな内面の欠けた部分を外部の人の評価で埋めようとしていた。しかし、自身の欠けた部分は、自分でしか埋められない。私が私自身を愛し、大切にしていないから、何をやっても満たされない。そんなはずはない。もっといい人にならなければ。頑張って、無理して、エネルギーが枯渇して、長続きしなくなっていたのだ。

世の中には、ボランティア活動でイキイキされている方もいる。だから、これは私のケースだ。

もし、ボランティアで、疲れを感じている方がいたら、ほんの少しでも参考になればと思う。


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