物語の力~前世を知る意味

 最近、前世についての投稿が続いた

前世を信じているか?と質問されたら、あるかもしれないし、ないかもしれない。半々な気持ちで受け止めている。

能力者が見た私の前世は、私が苦しみに意味を持たせやすいように、創作したかもしれないし、私が催眠状態で見た映像は、妄想かもしれない。

ただ、それが真実かどうかは、あまり気にしなくていいかなと思う。大事なのは、その物語を聞いて、私自身、過去の呪縛から自由になり、幸せな人生を歩めるようになれるかどうかだ。

この世は、幻想である。そう悟った瞬間、仏陀は仰け反って笑ったというエピソードを何かで読んだ。現実世界は、自分が作り出したもの。自分が経験したいことを選択して映写しているのだと、聞いたこともある。だから、違う経験をしたければ、ただ、映像を取り替えるだけだとか。

前世についても諸説あり、人は死ぬと、その魂は根源に吸収され、個は消え去る。生まれる時は、根源に蓄積された膨大な魂経験のデータベースから、必要なデータをダウンロードしてくる。だから、そもそも前世は存在しない。ダウンロードした情報を前世と捉えているだけ。と言う能力者もいる。それも、辻褄は合うかなとも思う。

私が、前世を語るのは、その物語によって、過去の傷が癒され、生きる元気をもらえるからだ。なぜ、母は早くに死んだのか。なぜ、父は、人をコントロールしたがるのか。なぜ、義母は、あんなに激しく怒り続けたのか。起きた現実をストレートに受け止めると、私は、親を憎んでしまう。本来、子どもという生き物は、親を心から愛したいと思っている。しかし、憎しみの心から逃れられず、ずっと苦しむ。

そんな時、もし、こんな物語が現実だったよと、前世が語られたとしたら?知られざるエピソードにより、家族の因縁が解き明かされる。加害者は被害者であり、もっと遡ればその反対もあったかもしれない。全ては、自分が選んだ経験から何かを学ぶために起きていた。どんな困難な過去も、腑に落ちる瞬間が訪れる。

物語は、想像力を刺激される。違う視点から、相手を眺められるので、渦中の相手の心中を察して、理解を深めることもできる。理解は赦しにつながっていく。世代を越えた憎しみの連鎖を断ち切ることにもなる。

物語は、生きる力となる

10歳の頃。母が突然亡くなり、私は不眠症になった。夜が恐ろしくて眠れない。周りをたくさんのぬいぐるみで囲んで、恐怖に押し潰されそうになりながら目を瞑っていた。眠っても、悪夢ばかり見た。おそらく、強烈な喪失体験により精神を患っていたのだろうが、当時は、子どもの精神疾患など、話題にもならない時代。ただ、耐えるしかなかった。

やがて、二歳上の姉が、私が眠るまで、創作物語を語ってくれるようになった。登場人物は、もちろん私。姉の語る物語のなかで、私は旅をし、素敵な国を訪問し、大活躍し、仲間に守られ、生き生きと楽しんでいた。何の不安も恐怖もない安らぎの国。姉の声を聴きながら、私はいつの間にか眠りに落ちた。姉の寝物語は、数年続いた。姉の物語がなければ、私は衰弱して入院していたか、完全に精神を壊していたかもしれない。

姉の物語は、現実ではなかったが、私は命を救われたのだ。想像力が、人を救うという実体験である。

前世は、あるかもしれないし、ないかもしれない。でも、それを聴くことで、心のわだかまりが溶け、大切な人を素直に愛せるようになれたなら。あなたが、幸せになれたなら。

真実かどうか論じるのは、あまり意味がないと思う。

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