透明になっていく
毎日暑い。 皆さん、体調は如何だろうか。 私は、熱中症には気をつけているつもりだが、昨日朝、職場である図書館へ歩いて向かう際に、(徒歩2分の近さ!)太陽光線の強力さに、微かな吐き気を感じ、ヤバイと思った。水をガブ飲みし、直ぐ様排出されてしまう。水は常温でチビチビ飲むのが鉄則。分かっちゃいるが、冷たいミネラルウォーターを一気飲みする爽快感から抜けられない。いつまでも若者気分では身体はついていかない。自分のことは棚に上げて、何だが、暑さ本番、気をつけてください。 今朝は、野菜たっぷり、鶏肉トマト味スープをコトコト煮込んだ。冷蔵庫にある野菜類を適当に切り分け、チキンコンソメとトマトの缶詰で味付けしたシンプルなスープ。 弱火でコトコト煮ながら、際限なく出現するアクをひたすらすくっていく。すくってもすくっても、アクは漂う。 若い時は、料理が嫌いだった。アクをすくった試しはなかった。煮込み料理は、アクまみれのまま食卓に。理由は、面倒だから。別に、アクを食べたって、病気になるわけじゃないし。面倒くさがりながら、やっとの思いで作ったカレーやスープを何も言わずにモリモリ食べてくれていた夫には、感謝しかない。味は、濁っていたんだろうなあ。雑味まみれの料理は、私の精神そのものだったろう。 定職を離れ、二年近く静養し、最近始めたアルバイト。昔の自分の未熟さを思い知らされ赤面することが多い。図書館の指導役の方を見るにつけ、目に見えるほんの一部の狭い狭い世界だけを見てそれが全てだと疑わなかった自分と今、現実を通して対面している。当事、私がいかに周りに許されていたのか、痛感しすぎて胸が痛い。あれもこれも、昔の私、そのものだ。片寄った正義感で断じていく危うさ。これが因果応報なのだろうか。私が発したエネルギーは、やがて確実に自分に還ってくる。自分が過去してきたことなので、都度、反省とともに体験する。その度に、当時の相手に向かい、心の中で謝罪する。「あなたを受け入れなくて、許せなくて、信じなくて、ごめんなさい。」と。謝る相手は山ほどいる。いつ尽きるかわからない。 そんなことを思いながら、今朝のスープ作り。アクを根気よくすくう。少しでも透き通った味になりますように。濁りを発見し、一匙一匙、取り出していくのみ。アクも、人生には大切な醍醐味だ。雑味があったからこそ、人生は彩り豊かになった。苦味、苦...
下を向いてばかりだと肝心なものを見落とします。
返信削除転ばないように、下を確認することばかり求められる社会だったよね。これからはバランスよく、上も見よう!
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