夢実現への一歩ニ歩三歩
将来に実現したい夢はありますか? もし、その夢が、魂の求めであるなら、きっと今世で実現するだろう。 私たちは、そのために生まれてきたのかもしれない。夢実現の結果というよりは、過程を体験することに重きを置いているのだが。 魂がやりたいことを、この世界に形として表現する。元々、肉体を持たないエネルギー体である魂は、肉体にわざわざ宿ることで、成長や学びを可能とした。 エネルギー体である高次の世界では、願えばすべて叶ってしまうそう。一見、その方が幸せそうだが、何と!飽きてきちゃうらしい。成長もほとんど出来ない。 肉体を持ち、様々な能力の制限下で、夢を形にしていく過程は、ハラハラドキドキ。失敗、絶望、焦燥などのスパイスにより、さらに美味しく味わえる。そして、苦労の末、夢を実現した暁には、至福の心持ちとなり達成感を味わうことだろう。 例えば、「水を得る」ということに関して、私たちは、感動しているだろうか?喉が渇けば、コンビニや自動販売機でペットボトルを購入するし、生活に必要な水は、蛇口を捻れば好きなだけ使える。当たり前のことなので、「ああ、水が飲めた!」と感激する人は、この日本では少ない。 しかし、雨の降らない砂漠地帯で暮らす外国の人々にとっては、「水を得る」ことは死活問題だ。水が出るのは当たり前ではない。遠くの水場へ何キロも重い甕を抱えて水汲みに行く女性や子どもの姿を見たことがある。 そんな地域で、日本の井戸掘りの技術が役に立っているという記事を最近読んだ。アフガニスタンで水路を掘っていた中村哲さんのエピソードも心打たれる。 苦労して、現地の方々と力を合わせ、井戸や水路を掘り、貴重な水が、喉と大地を潤した時。どれだけの感動がわき起こるだろう。そしてその過程で味わう感情や身につけた知見は、人々の財産となり、魂はグンッと成長するだろう。「水を得る」という夢を困難を伴いつつ実現すると、そこに関わった人々は、魂が磨かれる。 つまり、夢を実現するために、この地球上では、わざわざ過程が困難になるよう制限をかけている。なぜなら、その方がたくさん感動できて、成長できるから。その方が、楽しいから。 さて、私事になるが、今年に入ってから友人3人と夢を語り合ったことがある。もう半世紀以上生きた私にとって、夢を語ることが久しぶりすぎて、とても新鮮だった。いつから、私は夢を描かなくなったのだ...


下を向いてばかりだと肝心なものを見落とします。
返信削除転ばないように、下を確認することばかり求められる社会だったよね。これからはバランスよく、上も見よう!
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